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 『裸参りの手引き』

この「手引き」は、あくまでも当保存会が天賞酒造でご指導いただいた裸参りの様式などを参考としてまとめたものです。これが正式というものではありません。裸参りの諸団体の経緯の中で変化されたものもあると思われます。

あくまでも、裸参りの参考としてご覧いただければ幸いです。

1.仙台裸参りはいつから始まったのか……

 仙台の伝統行事である裸参りは、菊池勝之助氏の著書「仙台事物起原考」【昭和39年発行】の中に『・・・・・・仙台の伝統行事「裸参り」は、今より百余年前より仙台城下の国分町酒造家菅原屋(現在の千松島醸造元菅原家の先代)が、醸造の安全を祈願されたものであるという。

 近頃は酒屋ばかりでなく、各種商店などが商売繁盛を祈願して盛んに行われている。・・』と書かれている。

 仙台裸参りは、 嘉永年間(1844〜1853)のころ、少なくとも150年前には行われていた行事のようである。

 〔参考:嘉永6年(1853年)ペリー提督が来航,嘉永2年 葛飾北斎死去(享年89)〕

  「裸参り」は酒造りを生業とする業界から、その酒造りの過程の安全祈願を願う行事が始まりのようである。

2.仙台裸参りと「どんと祭」の関係……

「どんと祭」は、正式には「松焚祭」(まつたきまつり)。

 また別に(ドンドン焼き)(ドンド焼き)などと呼ばれている。

「松焚祭」は、仙台において大崎八幡宮によって松焚祭が始められ、その形が宮城県各地に広まったと言われている。 「松焚祭」と「裸参り」は元々は別の行事だったようだ。

3.「裸参り」は、宮城・仙台の伝統行事なのか……

「裸参り」の元々の形は、宮城県ではなく、東北南部地方の農家の神事だったようだ。

当時の神事の目的は、農家の人々が農作の1年間の安全と豊作を祈願していた。

(この行事は、現在も南部の地方で続けられている。)

その農家の人々が、親方と呼ばれるリーダーにより親族・近隣者のグループが集められ、農閑期を利用し仙台の酒蔵へ泊りがけの仕事「杜氏」を請け負っていた。いわゆる南部杜氏である。

この仕事により、農家の神事から酒蔵の年中行事と変わっていった。

その神事の目的も、酒造りの1年の安全と芳醇祈願と変わった。

4.「裸参り」の広まりは……

 「裸参り」が始まった当時は酒蔵の年中行事であったものが、次第に他の企業・法人にも広まり、

団体・サークルや家族単位の行事となって現在に至る。中には親子だけ、一人で「裸参り」をしていた人も居たようだ。

5.「天賞酒造」と裸参り……

 仙台の八幡町に古くから残る酒蔵のひとつ「天賞酒造」も古くから「裸参り」をしていた酒蔵である。

敷地内に残る井戸の水で身体を清め、酒蔵の中で「裸参り」の装束に着替え、天賞酒造の社長と杜氏頭を先頭に「裸参り」の神事が行われてきた。

 近年になり、その役職から杜氏頭が抜け、社員の参加も減り、参加者の多くは天賞酒造に縁のある市民となった

6.「伝統裸参り保存会」発足……

 天賞酒造が2005年川崎に移転してより、天賞酒造での「裸参り」の継続が困難となったこともあり、

いままで天賞酒造より「裸参り」に参加してきた市民の有志により「伝統裸参り保存会」が発足した。

 保存会員〔2017年現在〕は約90名。「裸参り」への参加暦は30~40年以上の者(古参)が約5名、20~30年以上の者が約10名、4~10年の者が約30名、3年以下の者(新参者)が約40名となっている。保存会では経験年数4年以上の者が裸参りとして認められる。

「伝統裸参り保存会」は、伝統的『伝統裸参り』の様式の継承と、伝統的『伝統裸参り』の由来・装いなど、伝統文化の探求と伝承目的としている。

 また、その様式は30年以上にわたりご指導いただいた天賞酒造の様式を基本としている。

保存会会員の心得は、「保存会の趣旨に賛同し自主的参加意志の強い者であることと、仙台の伝統的裸参りの意義と様式を継承する者であること」としている。

7.「裸参り」それぞれの意味……

◆神社へお参りするという意味は?

 農家の神事から酒蔵の神事へと形を変えてきた「裸参り」も、当時と同様神社に対する参詣が目的となっている。そのため、参拝の仕方・隊列・持ち物・装束などは参詣の趣旨に則る。

 ◆「裸参り」の隊列の意味は?

「先導」            ……当日参拝客により混乱している境内を進むのであるから、安全を重視し人垣を分け、進行方向を確保す 

                            る役割を持つ。

「高張り提灯」    ……隊列の先頭の目印であるとともに、その団体の名称を高く掲げることにより、団体・企業の宣伝・告知の役

                            割も示す。

「一番鉦」         ……隊列全体のテンポを作る責任者である。古参が担う。

「役職」            ……かつての社長・杜氏頭であるが、現在ではその団体の長やその団体との縁の深いものが担う傾向にあ

                            る。この役の者のみ、着物・袴・裃・笠を着用し扇子・懐刀を持参することが許される。

「二番鉦」         ……一番鉦を補佐し、役職・供物係りなどの隊列にテンポを指示する役割を持つ。

「三番鉦」         ……裸参りの集団の先頭に有り、実質その隊列全体の中心位置にいるため、長い隊列全体のテンポを決め

                            ている。

「高張り提灯」    ……隊列の最後に陣取り、その団体の後尾を確保し、隊列の最後を印す役割を持つ。

「付き人」          ……隊列のサイドに付き、ある人数の参加者を担当し、「含み紙」の交換、往路で供物を持ったものが神社へ

                            供物を奉納後、復路にて使用する提灯や鉦を持参し参加者に渡す役割がある。と同時に、道路・境内に

                            おいて先導同様隊列の進 路を確保する。特に、隊列を横切ろうとする参拝客を制止する役割もある。

 

 

 

 

 

 

◆「裸参り」持ち物の意味は?

「梵天」         ……隊列の進行に対し、お払いをする役割

「幣束」             ……神様を表わす

「祈願板」         ……その年の、団体の参詣の気持を板に記したもの。 四文字熟語などが多い。

「供物」            ……主に「山」「野」「海」の幸を、感謝の気持として三方(三宝)に乗せ、神様の前にお供えする。

『奉献酒』         ……奉納とは呼ばない。酒蔵の神事からきていることでもあり、供え物の先頭に持ってくる。 

『餅』『魚』『野菜』   …神様が召し上がることを想定して、供物の置き方にも仕来りがある。

◆「はだか」の意味は?「白装束」の意味は?

 仙台において、「裸参り」は酒蔵の神事が起源となっているため、普段酒蔵において酒造りをしていた服装が装束となった為裸に近い格好をし、白装束でもある。

  ◆「禊ぎ(みそぎ)」の意味は?

 「裸参り」の装束に着替え出発する前に、「禊(みそぎ)」を行う。

 これは、天賞酒造でかつてより続けられてきた伝統で、神様の前に詣でる作法として継続されてきたとともに、一旦冷水を浴びる  ことにより、逆に寒さを感じづらくなる意味もある。※このことより「裸参りは「寒中行」の意味合いも持ち合わせている。

 「水垢離(みずごり)」とも呼ばれる、冷水の行水である。氷の塊を浮かべることもある。

8.仙台裸参りの手続きは・・・

「裸参り」をする場合は、

①所轄警察署へ(警察署の窓口にて相談を申し出ると丁寧に指導していただけます。)

 「道路使用許可申請」をし、「許可書」を受け取り、「許可書」は当日持参すること。

②大崎八幡宮へ(社務所の方へ赴き、相談されると丁寧にご指導いただけます。)

 事前に神社より「参拝申請書」をいただき、必要事項記入の上申請する。

 申請の控えは必ず当日持参し、御神殿でのお払いの際に八幡宮の担当へ提出し、お守り・御札をいただく。

※なお、当日の「交通規制」および「臨時駐車場」などには留意願いたい。

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